「S・マックイーン 石綿のがんと闘った男」




アメリカを代表する映画スター、スティーブ・マックイーン。
その死はアスベストが原因だった。この事実は全くといっていいほど知られていない。

カリフォルニア州のサンタ・ポーラでマックイーンは亡くなるまでの1年間を過ごした。 モデルをしていた23歳年下のバーバラ・ミンティと結婚。 「どこかおかしいことは明らか」とミンティさんの勧めでロサンゼルスの病院で検査を受けると、中皮腫と診断された。 医師から原因はアスベスト、余命3ヶ月と告げられた。
中皮腫は進行が早く完全に治す薬も治療法もない。しかしマックイーンは諦めなかった。 死亡5日前の会話を録音したテープには「心はくじけていない。何としても病気に打ち勝ってみせる」とある。 マックイーンは手術を受けるため、エルパソから陸路メキシコに向かった。アメリカではもう助からないと手術を引き受ける医師がいなかったからだ。 マックイーンを
手術したサントス・バルカス医師は「彼は妻と一緒にいるためもっと生きたいと言いました」
がんがあちこちに転移していたため手術は困難を極めたがサントス医師は腫瘍の摘出に成功。 しかし手術から17時間後の夜明け前、容態が急変。長い闘病生活の果て全身が衰弱した結果、心臓が手術に耐えられなかったのだ。 1980年11月7日、息を引き取った。

マックイーンの伝記を出版した作家のマーシャル・デリルさんによるとマックイーンは病気の原因を二つ考えていたという。
ひとつは海兵隊時代。当時、船の機関室等には断熱用のアスベストがいたる所に使われていた。もうひとつはレース。 車やバイクが好きだったマックイーンはレースに良く出た。 そこで身に着けたマスクや耐火服に使われていたアスベストが原因ではないかというのだ。

死の5日前の録音テープには「もう一度、生き直したい。そして他の人々の人生も変えることができればと思う。 私に何が起きたかを皆に話していきたいのだ」と残されている。 マックイーンの死は衝撃を持って世界中に伝えられたが、その後もアメリカではアスベストの全面禁止に至らなかった。 アスベスト関連企業が政府に圧力をかけたからだといわれている。 マックイーンの死から間もなく25年、アメリカでは毎年2000人以上の市民が彼と同じアスベストのがんを発症しているという。 【tv asahi 報道STATION 11月4日】




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