FAQNews1〜5



5. ELSINOREのスウェットはどこで購入できるのでしょう?
A. 残念ながら現在入手できるかどうかは不明です。 以前何かの雑誌で紹介しているのを見たのですが、あいに くその雑誌を買いそびれてしまい・・

追記:01年3月発行のREAL McCOY'Sのカタログで見ました。 (現在も販売しているかどうかは未確認)


4. スティーブのお墓参りに行きたいのですがどこにあるかご存じですか?
A. わたしの知る限りでは「遺骨はマックイーンの愛した太平洋に撒かれた」 ということで、お墓はなかったと記憶しています。 詳しくは以下を参考にして下さい。
スティーヴ・マックイーンの遺体はリアジェットに乗せられてロスアンジェル スに戻り、火葬にされた。 彼は埋葬されることを望まず、もし死んだら、自分の灰は太平洋に撒いて くれるようバーバラに言い残していた。 希望通りの処置がおこなわれてから2日後、サンタ・ポーラのマックイーン の牧場で身内だけの葬儀が執りおこなわれた。葬儀にはニール、アリ、バ ーバラ
・・・スティーヴとかつて生活を共にした3人の女性がそろい、2人の 遺児の他に4人の親友・
・・サミイ・メイスン、バッド・イーキンズ、パット・ジョ ンスン、エルマー・バレンタイン・・・が列席した。
〜マックイーン最後のヒーロー〜 ウィリアム・F・ノーラン

1980年11月10日。葬儀が終わってからバーバラはサンタ・ポーラを離れ て、アニーを連れてアイダホのキャビンに出発した。 ・・・中略・・・ 今、サンタ・ポーラのスティーブの牧場の上にある丘の頂上に白い十字架が 立っている。 その土台近くの銅板には次のような文字が刻まれている。 「わたしの親しい友人 スティーブ・マックィーンの愛の想い出 1930年−1980年 神のおめぐみを グラディ・ラグスデール・ジュニア」
〜スティーブ・マックィーン さよならの365日〜 グラディ・ラグスデール・JR

遺骨が埋葬されていないので後述の十字架がお墓と呼べるかどうかは? です。(公認のものかどうかもわかりません)


3. McQueenの写真集が9月からアメリカで出版されたのをご存知ですか?
William Claxtonという、McQueenと大変親しかった写真家が撮った、私生活のマックイーンの写真をたくさん収めた素晴らしい写真集です。
A. 大変うれしいそして貴重な情報を教えていただきありがとうございます。
「写真集」のことは全く知りませんでしたので、ビックリしました。是非入手したいと思います。 (早速購入しました)

追記:02年1月ペーパーバックが発売されました。


2. 素敵なサイトですね。当方のホームページとリンクさせて頂いても宜しいでしょうか?
A. ありがとうございます。こちらからのリンクを張れなくて申し訳ありませんが、 一方通行のリンクでもよければ喜んでリンクを張っていただきたいと思います。
(リンク希望の方は事前にご連絡いただけるとありがたいです)


1. McQueenは「Day of the Champion」という映画の主役に抜擢されるはずだったようです。ところが、この映画はジェームス・ガーナー主演で「グランプリ」と題名を変えて封切られたようです。確かにガーナーを調べると「グランプリ」に主演しているのですが、この「Day of the Champion」が「グランプリ」と本当にタイトル変更されたのかどうか、その点がはっきりしません。
A. −「企画だけに終わった作品」1966年−
「栄光(チャンピオン)の日」
マックィーンの念願の本格的なレース映画として企画をたてたが、 同じ頃、ジョン・フランケンハイマー監督、ジェームズ・ガーナー主 演の「グラン・プリ」が作られ、同時に「砲艦サンパプロ」の撮影が 延びたため、企画自体を中止した。 5年後の1971年、彼はまったく新しいレース映画「栄光のル・マ ン」を完成させる。
〜「マックィーン ザ・ヒーロー」〜より

−さらに詳しく−
そして彼にもうひとつの夢を実現させるチャンスがやってきた。 この「砲艦サンパブロ」の撮影に入る前から、恩師のジョン・スタ ージェス(アルファ・プロ)と共同出資で「チャンピオンの日」という レース映画をつくるプランが練り始められていたのだ。 配給はワーナーだ。あらゆる準備にとりかかった彼はロケハンの ためモナコ・グランプリ・レースを見に行ったり、友人を訪ねて資金 集めをした。だが「砲艦サンパブロ」のやり直し撮影やダビングで 完成が遅れたため、翌年に延ばさざるを得なかった。 66年10月のことである。 その後彼は数多くのシナリオを読み、ジョン・ヒューストンと組んで 「クレムリンレター」(これは69年に同監督によってパトリック・オニ ール、バーバラ・パーキンス、マックス・フォン・シドーら国際スター 競演で完成)、パラマウント映画の「冷戦の交換」に出演する予定 だったが流れてしまった。 更に最悪の事態が起こった。 メトロ映画でシネラマの「グラン・プリ」が製作されるということだった。 主演はジェームス・ガーナー、三船敏郎、監督はフランケン・ハイマ ーだ。そしてそのストーリーがあまりにも似すぎているという問題が 起こった。 マックィーンはここで無期延期をする他なかった。 そして67年5月、「シンシナティ・キッド」で自らの新しい分野を開拓 してくれた若手のノーマン・ジュイソンと「華麗なる賭け」の撮影に入 った。(スタージェスも同年「墓石と決闘」、68年「北極の基地/潜航 大作戦」、69年「宇宙への脱出」という3本のスケジュールを組んだ)。
〜「シネアルバム スティーヴ・マックィーン」〜より

以上のことから「栄光(チャンピオン)の日」と「グラン・プリ」は別な作品のようです。





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