〜 暮らしの手帳 〜 |
スティーブ・マックイーンはいい男だった。映画の中の彼は、めったに笑わ
なかったが、上目づかいにニッと苦笑するように笑うと、胸にしみとおってくるほどのあたたかさがあった。
小さいときから、両親にめぐまれず、職業を転々とし、辛酸をなめただけあって、型どおりのスーパー・ヒ
ーローを演じても、薄っぺらにならず、奥行きを感じさせてくれた。いつでも、まっとうで、芯のとおった
役どころを演じ、私たち庶民にかわって、夢をかなえてくれるスーパースターだった。
そのマックイーンが逝ってしまった。去年の十一月七日、ガンとの戦いに
敗れて、去っていった。まだ50歳だった。 |
主演した映画「栄光のル・マン」のフィルムやスチール写真が、彼に無断で商品広告に使われたことに対して、
総額百万ドル(当時3億六千万円)の損害賠償を求めた、いわゆる「肖像権裁判」の第一審判決であった。
翌十一日の各新聞は、派手にその結果を報じている。「百万ドルの顔敗訴」
「マックイーンあの世で敗訴」「栄光の肖像権、侵していない/
マックイーン敗訴/広告の慣行にも勝てず」「100万ドルの肖像権は"幻"/
あの世でガックリ」つまり、マックイーンは自分が起した訴訟に敗けたので
ある。 問 (原告代理人)この広告をするについて、あなたのほうに承諾を求めてきたということはありますか。 答 (マックイーン)私の記憶する限りありません。かりにあったとしても、 たとえ百万ドルでも承知しないでしょう。安っぽく出来ております。 問 これは、宣伝の種類としては、映画の宣伝になるのでしょうか、それ以外の広告になるのでしょうか。 答 疑いもなくこれは製品のための広告であって、私を利用してその製品を宣伝しております。 問 その理由を・・・ 答 ここには、製品の名前が大きく出ておりますし、私は真中に存在しています。非常に趣味がわるいし、 私としては、絶対にこういうことをやらなかったろうとおもいます。 問 ヤクルト関係のことを聞きます。(テレビのCMを説明して)このコマーシャルは、映画の宣伝なんで しょうか、それ以外の広告でしょうか。 答 これは、明らかにヨーグルトの会社が、私を使ってヨーグルトのことを宣伝しています。私はヨーグルト は全然好かないのです。非常にひどい味がするとおもいます。 これは、その製品の広告をしています。私に対して、名前を使っていいかという照会などはありませんでした。 問 かりに承諾を求めてきた場合にはいくらかお金をとってやったでしょうか。 答 たとえ百万ドルでもお断りしたでしょう。私はヨーグルトは好かないのです。残念ですけれども。 答 パナソニックですか、知りません。 問 知らない商品といっしょに、あなたの肖像がパンフレットにあるということについては、あなたは どういうふうに感じますか。 答 なんともおどろくべきことで・・・ 問 あなたがある製品について、コマーシャルフィルムを作るというような場合には、その製品の品質なり 性能について、よく知っていることが必要だと考えますか。 答 もし、俳優が契約を結んでいればそういった選択権はないでしょう。しかし私の場合は、フリーランサー として、またビジネスマンとして自由な立場にありますので、私が100パーセント確信をおいているもの でなければなりません。 |
マックイーンは、自分がその製品の品質とか性能についてよく知り、しかも 100パーセント確信がおけるものでなければ、広告宣伝に出ない、と言っているのである。彼は、 ナショナルのそのラジオを、それまで見たこともさわったことも、もちろん聞いたこともないのだ。 そういうものの宣伝に、しかも無断で使われることが許せない、いや、かりに知らされたとしても、百万ドル もらったとしても断っただろう、というのである。ヤクルトの場合は、もっと明快だ。自分はヨーグルトは きらいだ、その自分が、ヨーグルトの宣伝をする筈がない。これまた百万ドルもらっても、絶対やらない、 というわけだ。 |
---もちろん、特別な理由がある。私は、私自身ホンダのオートバイを使っているし、レースもした。 しかも、本田氏自身をエンジニアとして尊敬している。アメリカで、彼と食事をしたこともある。彼を 信頼もしている。だからこそ、ホンダのコマーシャルに契約したのだ。そういう信念がなければやらな かっただろう。というのは、私は、責任がある。私を見に来る人、見に来てくれる人、観客の人に対して 責任がある。だから、私自身が製品を信じなければならない--- マックイーンはこのときホンダとの契約で、25万ドルを得ている。 しかし、じつはこれより以前に、おなじホンダから百万ドルでコマーシャルを申し込まれたのを断って いるのである。なぜ25万ドルの契約は引き受けて、百万ドルのほうは断ったのか、この質問に、彼は こんなふうに答えた。---オートバイの安全運動のためのコマーシャルで、全世界に私がホンダを代表 するというようなことだった。しかし、やらなかった。その理由は、内容をみてみると、安全運動と いうよりも、むしろオートバイを売る方に重点がおかれている感じだったからだ。だから私は百万ドル でもやらなかった。しかし、あとからのもの、つまり25万ドルのコマーシャルは、これはホンダの バイクに乗り、安全を強調して、ある種の服を着て乗るということ、そして安全のためにどういうこと をしなければいけないのか、とくに舗装もしてないようなところを運転するときには、どうしなけば いけないのか、そういこうとを宣伝するものだった。だから、私は25万ドルでもやったのだ。 |
〜 1981 january-february 暮らしの手帳社 刊〜 |
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