双葉十三郎氏 〜 「映画の友」 〜 |
これは、まさに、スティーヴ・マックィーンの映画である。 彼の魅力については、いまさらあらためて言うまでもないであろう。が、いままで出演した作品のなかで、 とくに私が好きなのは、テレビの「拳銃無宿」の彼、「荒野の七人」の彼、「突撃隊」の彼、「大脱走」 の彼、「マンハッタン物語」の彼である。そしていまここに、もう一人の彼が加わった一枚伏せポーカー の勝負師シンシナティ・キッドである。 こいつはイカす。公開されてもう三年になるが、いまだに生々しい記憶をとどめている、「ハスラー」は、 撞球の勝負師が名人に挑戦、えんえんたる死闘を展開する物語だった。シンシナティ・キッドも同じく 名人に挑戦して、すさまじい死闘をつづける。撞球とポーカーのちがいだけで、たいへんよく似た局面で ある。が、ポール・ニューマンが粘った性格でがめつい太々しさだったのに対 |
し、マックィーンは若々しく猪突敵で、坐りつづけての勝負なのに持前
の精悍さと機敏さを、ゲームそのもののなかにひらめかせて、息づまる<静>の中に、内面的な<動>のはげ
しい迫力を盛りあげている。マックィーンならではの魅力である。 そのマックィーンの魅力は、いきなり開巻から爆発する。 いかにもニュー・オルリーンズらしく、「聖者が行進するとき」の楽隊入りで黒人の葬列がにぎやかにす すむ間を、まったく無関心な顔付で歩いていくマックィーン。そして、 彼を英雄視する靴磨きの黒人少年がせがむコイン投げの賭けの相手になってから、柄の悪い連中との ポーカーでごっそりいただき負けた相手が暴力で奪い返そうとするのを素早いパンチとアクションで逃れ るまで、ノーマン・ジュウイスンの演出もここまでが最高のおかげもあって、 マックィーン・ファンたるもの、ニコニコしないではいられない。 さらに彼の魅力が発揮されるのは、全篇の四分の一ぐらいを占める名人とのポーカー試合の場面である。 名人エドワード・G・ロビンスンがまた近頃にない好演で貫禄も圧倒的、ポール・ニューマンの挑戦を 受けたジャッキー・グリースンとはまったく違った性格の名人ぶりで、勝負の場へ臨む前に多額の紙幣を かぞえて身支度する場面などには、一種の鬼気がただようほどである。この大物の眼からみれば、 マックィーンはキッドにすぎない。じつに鮮やかな面白い対照である。 いよいよ勝負である。いままでにもポーカーの場面は、くさるほど多い。西部劇の酒場の場面にはつき もので、いんちきだとかなんとかいって射ち合いになるのが定石。かのワイルド・ビル・ヒコックも、 デッドウッドの町の酒場でこれをやっているとき、うしろから射たれて死んだ。しかし、ポーカーその ものの勝負のスリルを、これほど具体的に強烈に盛り上げた作品は、いままでにない。 ここでおこなわれるゲームの方法はスタッドである。スタッドというのは五枚の手札のうち四枚をひろげ、 一枚だけ伏せておく。この一枚が何であるか、お互に相手をみぬかなければならない。例えばエース、 キング、クィーン、ジャック、という同マーク四枚が相手としてさらされており、あとの一枚が伏せられ ているとする。もしその一枚が同マークの10だったとすれば、最高のローヤル・ストレート・フラッシュ である。が、もし10以外のカードだったら、唯たんなるフラッシュで、10でもちがうマークだったら、 ただのストレートとなる。また、ちがうマークのエースかキングかクィーンかジャックだったら、ワン・ ペアが出来るわけである。が、以上のどの場合にも該当しない一枚だったらペケである。この一枚、すな わちホール・カードを見ぬき、自分の手とどっちが強いかを判断して勝負するカンと熟練と大胆さと決断 力がカギとなる。相手も同じことだから、ここにポーカー・フェイスの裏面に秘めた神経の死闘が開始さ れる。見ている私たちにとってもすごいスリルとサスペンスである。映画のなかで見ている連中も同じこ とで、そのリアクションが異様な興奮に満ちた雰囲気を醸し出す。 マックィーンは恐るべきファイトで立ち向い勝って勝ちまくる。 このファイトむき出しの演技はマックィーンなればこそで、ハスラー・ ニューマンのような卑しさがなく小気味いい。これに対し、名人ロビンスンは、負けがこんでも泰然自若。 が、さすがに老齢で疲労はかくすべくもない。キッドは血気にまかせて一気に押しまくろうとする。 このあたりの二人の対照は、最大の見せ場である。しかし、ついに若さは老獪に敗れる。その決定的な 最後の一勝負こそ、スリルが最高に盛りあがる瞬間である。 |
〜 66年1月 映画の友社 刊 〜 |
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