'70年を迎えて転換期にはいったスティーヴ・マックィーン


関口英男氏 〜 「スクリーン」 〜


事業家の心境
ロンドンのウェスト・エンドにあるホテルの一室。そこにいまスティーブ・マッ キーンはソーラー・プロの本拠を置き、いろいろと70年を迎える準備で忙しい。彼は百万ドル スターであるばかりでなく、ソーラー・プロの社長として一切を采配する身なのだ。ブラック・コーヒー とシガーの長い討論が続く。「さあ空気でも入れ変えようじゃないか」マッキー ンが言うと、スタッフの連中がわずかに窓をあけて「お風邪をひかぬように願いますよ」と念を 押す。まるでこわれ物にさわるような扱いである。タフなマッキーンに 対しこれはまったく場違いな感じかも知れないが、事実そはそのとおり。
それもその筈、マッキーンにもしものことがあると撮ったフィルムが無 駄になるほか、スタッフの連中の生活にも影響するところが大きいからである。いまやファンの期待や 喜悦のほかにその人
たちの生活もかかっている。
勢い自重せざるを得ないのだ。「そろそろスターダムから離れるときが来たようだよ。スターというより 映画制作者になりつつあるのを感じるね。演技で身につけるのとは違った威厳もついて来たようだ」
マッキーンはそういってニッコリと笑う。「ということは、もはやファ ンのアイドルだけに収まってはおられなくなったということ。年もとったしね。1970年代はおそらく 今までやって来たようなことはできまい。事業家としてクリエーティブな面をもっと身につけることだろ うね」"危険に生きる"
男としてのスティーブ・マッキーンは、どう やらいま峠にさしかかっているということだろうか。彼はいまそうした過去の自分を静かに振り返って、 新しい自分を創造しようとしているのだ。「ぼくはこれまで、いい監督にめぐまれていたよ。ジョン・ス タージェス、ノーマン・ジュイソン、ピーター
・イエーツといったピカ一の監督たち。おかけでぼく はかなり買いかぶられた。
本当のぼくとスクリーン上のぼくがどれほど違うかって、それはぼくには分るはずがないよ。要するにぼ くはぼくでしかない、としか言えないね。けど、こういうことが言えると思う-----ぼくより若い監督、 たとえばカサベテスとは友人だが、彼に監督を頼むつもりはない。お互いの個性を重んじたいからね」
そう言う彼の口もとには、いつの間にか社長としての重みも貫録もついて来た。「ぼくはこれまですぐカ ッとなり、よく取組み合いの喧嘩をしたものだ。けれどそういう時期も過ぎたようだ。ぼくはね・・・中 国猫からいろいろ学んだよ、それに柔道だ。これからは貫録が大切だとつくづく思ったね。できるだけク ールになるようにつとめてる。-----」
いうなれば禅の心境に達しつつあるということだろう。いままで彼から受けた印象から考えると、百八十 度の変りようだ。けれどマッキーンの本質はあくまで変りがないのである。

或る告白
マッキーンは1930年にインデアナポリスに生まれた。生まれて六ヶ月 で父親は家を棄て、彼は祖父の手で育てられた。十四歳のときボーイズ・リパブリックに送られるが、こ れはいわば少年院。マッキーンは小さな盗みをして"非行少年"と見做され たのである。マッキーンはその後学校から逃亡するが、いまも当時を振顧 ると胸が痛むという。「しかし、何かを学ぶことができたようだ。なぜ逃げたかを考えると、その逃げた 理由がぼくを学ばせたといえそうだ。ぼくはね、『ブリット』で警官をやるかどうか大いに迷ったんだ。 なぜってぼくには暗い過去がある。ぼくは彼らをずっと憎みながら成長して来た。だけどぼくは、普通の人 びとが警官を見るように何でもなく見ようと努めたものだ-----少年院の少年がポリ公を見るような眼でな くてね。もう彼らを見ても逃げなくていい、ということは大きな救いだったよ」
マッキーンは包みかくさず告白する。そして彼はいまその少年院に マッキーン奨学金を送って、若い人びとに深い共感を抱くのだ。「昔とく らべてみて、いまの若い連中が幸せかどうか、ぼくは何とも言えないね。政治家たちは何でも自分勝手に 型を作り、"期待される人間像"になれ、などという。いったいどんな"期待される人間像"に合わせろとい うのか、わかったもんじゃないね」
喋っているうちに熱を帯びて、ようやく彼らしいところが現れる。「昔のことは喋りたくないというのは 本当だが、ぼくが女郎屋で働いたなんていうのは真赤なウソだ。ただそこに食物などを配達したことは事 実だがね・・・」
マッキーンは最新作「華麗なる週末」で娼家に泊る少年の挿話を描いてい るが、おそらくそれは少年の日の彼自身の姿だったに他なるまい。
喧嘩のため鼻の骨が三つに折れ、自動車事故で片っ方の耳がすっかりつんぼになったが、彼の闘志は変ら なかった。ある日彼はアクターズ・スチュディオの門をくぐるが、受験者2000人のうちから幸運にも 五人の合格者のうちの一人に選ばれた。それからの彼は人を信ずることを学ぶようになる。「きみ、人間 はお互いを信じなけりゃいけないよ。さもないと、いろんな会社をわたりあるいて、いつも失望ばかり味 わうだろう。まず自分自身に確信をもつことだ。さもなきゃ誰も君を信じやしない。妻(ニール・アダムス) がぼくを信ずる、そしてスタージェス監督がぼくを信じている。だから彼はぼくを彼の映画に出してくれた。 人を信ずること-----これがいまのぼくの哲学だろうな」
マッキーンがスピード狂のことは周知のとおりだが、彼自身の言葉を借り ていうと「スピードこそぼくにとって、完全に幸福な瞬間」であり「神と対話できる時間」なのだ。
しかし、前にも述べたように彼はもはや昔の暴走一途の男ではない。「ぼくの第一の目的・・・それはハ リウッドに対し責任をもつことだ。というのはもしハリウッドがなければ、今頃のぼくはバスルームのタ イル売りをやってたろうからだ。ひょっとすると、行き倒れで死んでたかもしれないね。スターの中には 豪壮な家に住んでる人もいるが、あれはハリウッドを救う道じゃない。ハリウッドに威厳をとり戻すこと、 俳優自身が自分自身に威厳をつけること、これが映画産業を残す道だ」
人を信ずることの厚い彼は、ハリウッドの栄光をあくまで保持しようとつとめるのだ。「ハリウッドは滅 びた」と世間が言おうと言うまいと、マッキーンだけは真向からこうした 考えに反撥して、「天は自ら助くるものを助く」を実行するのである。が、それも彼自身の闘争心からで ある。「ぼくはね、いい言葉を知ってるよ。『最も強いもののみが生き残れる』という言葉だよ。子供の とき、ぼくはこの言葉を生きるモットーとしたんだが、もちろん人を信ずるというのとこれは相反しやし ない」
1970年、やはりマッキーンが強く闘う男として逞しく生きてゆくこと だけは変りないのである。彼はいま、「ル・マン」「ナイロン・ストリング上の男」「ユカタン」と、いろ いろ新しい企画に取りかかっているが、今年も彼にとって稔り豊かな年になることは疑いないのである。

〜 70年2月 近代映画社 刊 〜





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