高倉健という名前と、洒落者という言葉が即座に結びつく人は、それほど多くないのではない
か。しかし彼は、間違いなく洒落者だった。特にファッション業界では、古くから知られている事実だった。
1980年代に健さんがよく訪れていた、東京・原宿のセレクトショップ「ビームスF」でかつて健さん担当の販売員
を努め、92年放送のNHKドラマ「チロルの挽歌」では健さんの衣装にも携わったスタイリストの登地勝志氏は、
こう回顧する。「男の服の基本、そして自分に何が似合うかを、きちんと心得ていらっしゃいました。華美ではな
いけれど質の良いものを選び、その上で、時代時代のファッションの流れもうまく取り入れる。同世代の男優の中
では、飛び抜けたセンスの持ち主でしたね」そうしたセンスはもしかすると、ある俳優を参考にすることで磨かれ
たのかもしれない。演技者としてはヘンリー・フォンダやジャン・ギャバンを尊敬していた健さんだが、服飾品な
どの趣味については、どうやらスティーヴ・マックイーンを意識していたふしがある。ショート丈のブーツ、ミリ
タリー系のジャケット、ペルソールのサングラス、バラクータのG9、そしてポルシェ911S・・。いずれも、健さ
んよりわずか一歳年上で、同じ56年に映画デビュー、そして健さんより早くスターにのし上がった、マックイーン
が好んだものなのだ。しかしそれをただ表面的になぞったわけではない。マックイーン流を取り込んで咀嚼し、自
分のものとして再構築した。そしてそのセンスは、俳優・高倉健の強みになった。「衣装に漫然と着せられるので
はなく、ちょっと襟を立てる。あるいはジャケットのファスナーを全部上げたり、あえてコートのボタンを一番上
まで留めてみる。健さんにはそんな『着ごころ』があるので、何気ない服でもきらりと光らせることができるので
す」(登地氏)また、用意された新品の衣装には靴下に至るまで洗い処理を施し、リアリティーのある使用感を出
すのが常だった。着るものからすでに役作りは始まっているのだから、そこにはストーリーを持たせることも演技
のうちだと考えていたのだろう。何を選ぶかだけでなく、どんなディテールを追求するかまで含めた、着こなしす
べて。それこそが、健さん流のセンスなのだ。
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