FAQNews 741〜745



745. 日本の宝とも言える俳優 高倉健さんも大のマックィーン・ファンである写真を見つけました。 通称「Steve McQueen」と言われるロレックス・エクスプローラーU Ref.1655の腕時計を健さんがしています。それもなんと・・右腕に!! 思いっきりマックィーンになりきった健さん。衝撃的な写真です。 前々からマックィーンと同じバラクーダG9を健さんも愛用しているのでひょっとしたらとは思っていましたが、あの高倉健さんまでもファッションの真似させるほど惚れさせるマックィーンの存在感は凄すぎます。 「栄光のル・マン」公開時に出ましたル・マン新聞にも健さんがマックィーンについて語ったコメントが載っていますが、この写真を見て相当なマックィーン・ファンである事実がわかりました。 私の勘ですが、多分このサイトも定期的に健さんはチェックされておられると思います。年齢で言えば健さんは1931年2月生まれですから、マックィーンの1歳年下。 出演作のほとんどが寡黙なキャラクターであるのも、マックィーンとに似ています。また健さんが1974年に出演したアメリカ制作の映画「ザ・ヤクザ」の脚本家ポール・シュレイダーさんはあの「タクシー・ドライバー」の脚本家で、健さんについてこう述べています。 高倉健について「なぜ僕らが彼をキャスティングしたかを理解することは難しくないと思う。彼はスティーヴ・マックィーンのようなカリスマのある存在だからだ。僕は個人的には鶴田浩二が演じる複雑な役が好きだが、この映画は高倉健をイメージして脚本を書いたんだ。 実はこの後に僕が監督した三島由紀夫を描いた作品『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ / Mishima : A Life in Four Chapter』(日本未公開)でも彼に三島役を依頼していたが、彼の諸事情で参加できなかったことがあったんだ」とポールは高倉健の仕事ぶりに惚れ込んだようだ。
【Ken Takakura's Rolex Explorer2 Ref.1655】
【高倉健はスティーヴ・マックィーンのようなカリスマ性と絶賛】

追記:たくさんの高倉健さんファンが日本にはいますので、もう少し本当に健さんがマックィーンの大ファンであるかを検証してみたいと思います。 健さんもマックィーンもデビューしたのは1956年と同じであります。 健さんもマックィーンと同じく車が大好きで、日本の芸能人で初めてポルシェに乗った人物と言われております。 健さんの最初の車は1953年式ポルシェ356クーペでしたが、オイル漏れが激しく直ぐに売却。 その次に買われたのが1958年式赤のポルシェ356カブリオレです。 マックィーンが最初に買った車は1958年式黒のポルシェ356スピードスターです。 同じ58年式のポルシェ356のオープンカーを健さんもマックィーンもデビュー初期に稼いだお金で乗り回していたのです。 健さんはその後ポルシェ911を購入し現在もポルシェ911に乗っているそうで、プライベートで被っているのもポルシェ911のキャップであるほどポルシェ愛好家であります。 世界的にはマックィーン以上に60年・70年代でポルシェを乗り回す有名人はおらず、「栄光ル・マン」もリアルタイムで鑑賞しマックィーンに対してコメントしている健さんがポルシェを愛車にするのもマックィーンの影響を受けていたとしても不思議ではありません。 それから日本で1968年に公開された「華麗なる賭け」でバラクーダG9を格好よく着こなしたマックィーンですが、バラクーダG9を最初に有名にさせたのはアメリカのテレビドラマ「ペイトンプレイス物語」と言われており 全米では1964年9月15日から1969年6月2日まで放送され1964年から1966年までは白黒で1966年から1969年まではカラーでありました。 日本での最初の放送は1965年4月1日から同年9月21日までで当時は白黒放送であったために、バラクーダG9の魅力を最初にカラーで日本人に見せたのは、トーマス・クラウンを演じたマックィーンだと言えます。 そして最後に当時右腕に腕時計をする有名人などはマックィーン以外にはおらず、通称オレンジハンド(Steve McQueen)モデルのロレックスを右腕にしている写真を撮られた80年代初頭から 現在でも高倉健さんはプライベートでも映画の中でも高い確率で右腕に腕時計をしており(今の日本では高倉健さんをマネして右腕に腕時計をする有名人が増えてきています) NHKさんで放送されたプロフェッショナルでも、健さんはほとんど右腕時計をしているのが確認できます。 その中でジャン・ギャバン、イブ・モンタン、映画では「ゴッドファーザー」「ディア・ハンター」について発言をされた健さんですが、 ポルシェ、バラクーダG9、右腕時計、という状況とオレンジハンドのロレックスを右腕にした写真により健さんがマックィーンの大ファンであることは隠しようもない事実だと思われます。
がしかし、日本の映画界を背負って立つ健さんの口からスティーブ・マックィーンの生き方、ファッションなどに影響を受けているとは言いたくても言えないことも理解できます。 「男は黙って行動をする」なのですから・・ しかし今年83歳になられた健さんがマックィーンを理想の男性像としていたことをカミングアウトをして認めてくださることがあれば、東洋と西洋の孤高の男が見事に融合するわけで、 今のような世の中では日本男児の将来にとってはとても良い影響を与える不変のパワーになるのではと思えます。 ファンとしましてはNHKさんに健さんが映画「最高の人生の見つけ方」のようなマックィーンの3人の元妻やチャドに会ったり、マックィーンの愛車に乗ったり、マックィーンを人生の師とする マイケル・ダグラスと再会し会談する、生きているうちにしておきたい究極の趣味の旅みたいな企画でもしてもらえたら最高なんですがね・・
任侠映画時代の健さんは普通の人と同じで左腕に腕時計をしているのを確認できます。そのような方が1980年前後の現代劇に出演する頃から右腕に腕時計をするように変えたのはやはり誰かの影響があってしていると考えるのは自然でありましょう。
【仕事の流儀 「高倉健スペシャル」】
【プロフェッショナル 仕事の流儀 SP 「高倉健 インタビュースペシャル」】
【高倉健が愛したポルシェ356 1958年製】

健さんが抱いていたマックイーンへの思い同感です。私がもしやと思ったのは「冬の華」の衣装=ブリットをイメージかなと。 また、ヘルメット姿の健さんは「タワーリング・インフェルノ」のマックイーンに似ています。

追記:高倉健さんの裏解説としまして私が思うのは、健さん自身はマックィーンの名前を挙げることにかなりご自身で躊躇している最大の理由は、生まれ育った環境があまりにも違いすぎるからだと思います。 健さんのご実家はかなり裕福で映画を観にいくのでも映画館もお父さん顔でフリーパスで見放題だったそうで、高校1年生の時(1947年 昭和22年)に撮られた写真を見てもわかるように、バスケットシューズを履いて腕時計をしているご身分です。 終戦後たった2年の時とは思えません。英語派の小倉米軍司令官の息子と友達になり週末に遊びに行く中で覚え、高校時代にはESS部を創設して英語力に磨きをかけ、趣味の映画でも対訳テキストを持参し映画を何度も見てはセリフを憶えるほどでした。 その後明治大学へ進学卒業後サラリーマンになるのがどうしても嫌で、新芸プロのマネージャーになるため喫茶店で面接テストを受けに行った時に役者としてスカウトされたわけですが、 マネージャーになるためではなく健さん自身は映画スターになる夢をずっと持ち続けていたはずで、コネが無かったので業界入りを目指して芸能プロの面接を受けに行ったというのが本音だと思います。 東京の大学に来た時もあれだけのマスクを持っていれば学生仲間からもお前男前だよなとか、俳優になれるんじゃないのかとか言われたことは何度もあったはず。 福岡の田舎から上京しても街中を歩いていてもあの時代の日本人で180センチの長身であのマスクならたくさんの女性から振り返られたり視線を感じていたことは数知れずあったと思います。 人は他人の言葉や視線を得る経験をすることで自分も映画スターになれるという自信みたいなものは沸いてくるはずです。 それで芸能プロに行ったら即スカウトで、演劇を学ぶ努力や下済生活を送ることなくいきなり主役で銀幕デビューですから、苦労人のマックィーンの名前を出して自分を比べることは申し訳ないことだと、健さんご自身が一番よくわかってらっしゃるんだと思います。 とにかく何でも映画を作れば儲かった時代で1年に何本も撮影し役作りの期間なんてない多忙な時期が何年もあったわけですからね。 撮影所、楽屋、事務所へ行けばキネマ旬報やスクリーンのような映画雑誌は置いてあったはずですから、そこに目を通せば英語が得意、映画の好きな健さんにとってはハリウッドスターの記事や写真は隅から隅まで全部チェックしていたことでしょう。 任侠映画で人気スターになって実入りが良くなった時には既にマックィーンは「大脱走」で世界的大スターでしたから、映画雑誌の冒頭の写真や記事はマックィーンが占領 健さんも憧れないはずがありません。 演劇学校に行くこともなかった健さんにとっては本物の苦労人マックィーン、細かい演技をするマックィーンは役者である健さんの大きな支えであり師であったと思います。
【高倉健の人間性は何処から 1】

追記:俳優の高倉健(たかくら・けん、本名・小田剛一)さんが10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。83歳でした。 FAQ&Newsに高倉健さんがマックィーンの大ファンであるという情報をアップしようと思った私は、当初この情報をマックィーンの命日である11月7日にしようと準備をしていました。 何故か今月に入ってから健さんのことが気になり、色々とネットで健さんについて検索していた時に右腕のオレンジハンド(Steve M
cQueen)のロレックスをしている写真を見つけ、その後健さんの生い立ちを調べていく中、私の中では絶対に健さんはマックィーンの大ファンであると確信を持ちました。 しかしあまりに多くの健さんファンがいることを配慮して、7日に向けて情報をアップしていく方法にしようと思って実行いたしました。 そのマックィーンの命日の3日後の10日午前3時49分に亡くなられたことに本当に驚いております。何か虫の知らせのようにマックィーンを愛していたいた健さんが、皆に伝えてくれよって言って下さったかのように思えてなりません。 「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」 この言葉は天台宗・比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏から贈られたもので高倉さんの座右の銘なのですが、私は京都生まれの京都育ちでも延暦寺に御参りに行ったことがなく、母親が行ってみたいと言ったので、今いる東京から帰省した時に二人で御参りに行ったところです。 母親が私にある寺院を特定して言ったことはこれが初めてでありそれだけです。1995年日本アカデミー賞が国立京都国際会館で行われた時に健さんと握手をした時の肉厚で大きな手とあの低く渋い声が今も忘れられません。 心よりご冥福をお祈りいたします。
【高倉健さん死去 83歳、10日に悪性リンパ腫で】

高倉健さんが亡くなられた報道の中、映画「あなたへ」が完成し刑務所へ慰問へ行かれた時の健さんの映像が流され、マックィーンが「ブリット」で履いていた靴サンダース マッドガードを履かれていたように見えました。

海外では「健さん対マックィーン」というこのような投票もあります。84万回以上の投票数がありますね。
【Ken Takakura vs Steve McQueen| Star Battle】

高倉健さんの訃報を聞き、自分の大好きな「幸福の黄色いハンカチ」を久しぶりに鑑賞しました。 健さん演じる島勇作のコスチュームは「大脱走」のヒルツ大尉を連想させます。感動的な夕張のラストシーンでは特に感じました。

一般の方がテレビの放送をカメラで録画されたものなので、とれも見づらいですが20秒〜21秒の時の一瞬です。サンダース マッドガードに似ているかと思うのですが・・
【高倉健 富山刑務所でスピーチ ご冥福をお祈りします】

高倉健さんがオレンジハンド(Steve McQueen)の時計をしていたことを突き止めた時計マニアの方が、亡くなられた健さんが最期にしていた時計も同じエクスプローラー2をされ、愛していた時計だったんだと記事をアップされています。ありがとうございます。
【TIMELESS OYSTER The last Japanese actor that had a mind of samurai】

追記:私も以前から健さんはマックィーンのファンであると確信しておりました。演技や衣装のスタイルから間違いないと。 極力セリフを少なくして目や体の動きで演ずる手法をマックィーンが望んだことは、後年のドン・ゴードンの談話でご存知と思います。 先日TVで観た刑事役の健さんはツイードジャケットにタートルネックセーター、ステンカラーコートでした。舞台は昭和39年です。 その当時そんな格好の刑事がいたとは思えませんので、なるほどと納得した次第です。 ご覧になったでしょうか。NHKで健さんを追いかけた特番がありましたが、そこではプライベートでペルソールの折りたたみサングラスを使っていましたね。 それにしても私17歳でマックィーン、35歳で三船敏郎、50歳で高倉健の訃報に悲しい思いをしてまいりました。

直接の出会いはなくとも高倉健さんとマックイーンの関係について、多くの方が深い思いを抱いていたことにあらためて驚いています。 高倉さんの口から直接語られることは永遠になくなりましたが、皆様がおっしゃる通りマックイーンのファンであった(いろいろな面で影響を受けていた)ことは間違いないのではと思います。 今頃むこうで演技について熱く(寡黙に
?)語りあっているかもしれませんね。 高倉健さんのご冥福をお祈りします。

追記:高倉健さんがNHKプロフェッショナルでしていたサングラスはペルソールの品番PO30
19Sのようです。Color Codeはおそらく24/31のように見えます。 動画の1分50秒から確認できます。現在は正規で入って来ていないモデルのようです。また品川GOOS(旧品川パシフィックホテル)2Fにある健さんが行きつけの床屋さん、理髪佐藤の健さん専用室に皮ジャンの上にかけてあったハンチング帽はフランク・ブリットのジャケットと同じハリスツイードだと思われます(動画25分20秒)。  健さんもマックィーンと同じくらいハンチング帽が似合う男性ですね。私生活でもマックィーンと健さんも二人ともデビュー間もなく、自分より遥かに大スターである女性と結婚するなど共通点がありますね。 バラクーダG9、ペルソールのサングラス、愛車はポルシェ、ハンチング帽、そして右腕にオレンジハンドのROLEX、寡黙で伏し目がち
、脱獄、囚人、前科モノ、一匹狼な役柄、高倉健さんとマックィーンは見事に合致しております。 NHKさんでは23日に「NHKスペシャル」(後9:00〜9:49)で高倉さんを特集する。「Nスペ」では「高倉健という生き方〜人生を語った10時間」と題し「プロフェッショナル仕事の流儀 高倉健スペシャル」(2012年9月8日放送)制作時のロングインタビュー素材も活用し、高倉さんの人生と生き様に迫る。 翌24日(前8:15〜9:28)には遺作となった映画「あなたへ」の撮影現場を中心とした長期密着ドキュメント「プロフェッショナル仕事の流儀 高倉健スペシャル」の再放送を行いますので、永久保存版で録画された方がいいと思います。
【高倉健さんのサングラス】
【[NHKG] プロフェッショナル 仕事の流儀「高倉健スペシャル」】
【PO3019S | Havana | Suprema】
【NHKスペシャルで高倉健さん追悼番組 『プロフェッショナル』の再放送も】

ご指摘されている健さんの「冬の華」とマックィーンの「ブリット」のファッションについての解説です。
【”冬の港町・そして男のツイードジャケット その1”】
【”冬の港町・男のツィードジャケット その2  後半 ”】
【better half jivyivy exblog 冬の華】

本日の報道によりますと、体調を崩していた高倉健さんは一時体調が良くなり制作関係者の女性へメールをされたのですが、 その方が健さんに会いに行くための唯一の場所は理髪佐藤しかないと亡くなれられる3日前のマックィーンの命日の11月7日に行ってみたそうです。 するとそこにはいつものように健さんが個室にて佐藤さんに散髪されていたそうです。 その3週間前には江利チエミさんの親族の命日にも毎年贈られていたお線香を贈れなかったほど体調が悪化されていたようですが、奇跡的にマックィーンの命日前に体調が回復され理髪佐藤へ行けたそうです。

追記:「冬の華」で履いていた靴はサイトの説明文では・・・靴もはっきり確認できたわけではないのですが、黒の表皮チャッカーブーツのように見えます。 (健さんは神田平和堂靴店のチャッカーブーツが大変お気に入りとの話でした。佐宗慶吾さんという名物社長が長いこと会社を経営されておられましたが、数年前事情があって大変残念ながらお店を閉められました。また名店のひとつが無くなってしまったのです) と書かれていますように、未確認ではありますがチャッカブーツが健さんのお気に入りだとは判明しました。マックィーンも確認されているもので、1960年に出演した「ヒッチコック劇場第四集 - 南から来た男」の時にはチャッカブーツを履き、それ以後も愛用の靴にしており、チャッカブーツのウィキペディアにも代表者で載るほどです。 健さんが愛したチャッカブーツとはブランドは違うようですが、昨夜放送された「南極物語」でも健さん演じる潮田暁が南極に犬たちを残して日本に帰ってきてから、謝罪の旅に出かけている時に履いているのもチャッカブーツでした。 また映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影用にブーツを作ったヒロカワ製靴(墨田区堤通1)の社長、広川雅一さん(57)は20年ほど前に共通の知人を通じて知り合い、ある時別の映画のためにブーツの注文を受けたが、その際「さっと履けるようにファスナーを付けてほしい」との要望があった。 後になって、靴を履いている間にスタッフを待たせないためだということを人づてに聞いたそうで、とても気遣いをされる人柄だったのが伝わるエピソードです。 マックィーンも生前は生い立ちは映画雑誌には紹介はされていましたがプライベートは全く謎の映画スターで、健さんもプライベートが謎の映画俳優を貫き通した人でありました。 更に健さんは、いつか牧場を持ちたいと夢を語られていましたが、それは実現せず旅立たれ、マックィーンは余生を過ごすためにアイダホ州ケッチャムに牧場を購入しましたが、そこに住むことなくあの世へ旅立ったのも似ております。 一部海外での報道では日本のイーストウッドである高倉健が亡くなったと伝えてましたが、明らかに間違った解釈と言えるでしょう。 これだけの共通するファンションアイテム、役柄、演技、私生活等の証拠があるのですから、高倉健さんは日本のスティーブ・マックィーンであったのです。 親友であったマックィーンとブルース・リーは西洋と東洋のアクション・スターのスーパーアイコンであり、お互いとも『動』の人物であったと思いますが、一方マックィーンと高倉健さんは任侠映画まではお互い『動』の存在でありましたが、それ以降現在劇での健さんは日本人の心、忍耐、美徳、気遣いを極めた人物を築き上げ、『動』のマックィーンに対し『静』の健さんという陰陽の世界がこの二人のスターにより完璧にでき上がったと思えます。 健さんは作品以外でも中国人、西洋人、スタッフ、エキストラ、地元の人、ニュースで知った人などでも相手を知って思い遣る気持ちがあった人物であったかと思います。 それは同じ東洋人で陰陽の世界を重んじた截拳道(ジークンドー)のブルース・リーではできなかったことです。ブルース・リーは時代のせいもあり、アメリカでは東洋人の身分が低く虐げられているのを、いつか白人を見返してやる気持ちと溢れんばかりの肉体的なエネルギーが強すぎたせいで彼自身の心の陰陽のバランスが崩れてしまい成功を急ぎすぎたように思えます。 一方健さんはいきなり主役でデビューした後ノンストップで70年代半ばまで走ります。その時点で独立していける財産も当然あったでしょう。しかしそれから現在劇に出るにあたり、お手本にしていたのはファッションだけでなく演技でもマックィーンであったはずです。 それをハリウッドのように膨大な予算がない日本映画で活かすには、『静』のマックィーンになろうと思われたんだと思います。 80年にマックィーンが亡くなった後にドキュメンタリーや伝記本でわかってきたマックィーンの私生活。当然『動』であるマックィーンのマイナス面が健さんにはよく見えたはずです。例えばそれは大スターになったが故のエゴ、不規則な生活、食事、健康管理等です。 それを日本のトップ俳優であった健さんは無くし、亡くなるまで実践したんだと思います。 当初11月7日のマックィーンの命日の時には、もう病院のベットで横たわっている姿の健さんを想像しておりましたが、理髪・佐藤に行けていたことを知りますと、このマックィーン・サイトに11月4日・6日・7日に投稿した健さんはマックィーンの大ファンであるとの記事を見てくれた可能性は少なくともゼロではなかったわけですね。 それは我々マックィーン・ファンでとっても良かったことではないでしょうか。 森繁さん、森光子さんと同じ11月10日での死去 「いい人の日」と言われていますね。
【チャッカブーツ】
【SANDERS(サンダース) “ブリット” チャッカ(スナッフ/ブラウン)】
【あしもと - shoeholic - Steve McQueen Mud guard boot】
【MEETS VOICE SANDERS/サンダース】
【真摯さ気遣い 役のまま…高倉健さん死去】
【BASICMATERIAL TWEED HARRIS TWEED】

追記:健さんオリジナル・カスタムのオレンジハンドはアンディ・ガルシアへ贈られました。
【TIMELESS OYSTER R.I.P. , Ken-san】

追記:「ブラック・レイン」の撮影以来20年ぶりに来日したアンディ・ガルシアさんは健さんからプレゼントされた時計をしてパーティーに出席されました。
【Laura CREATION TODAY! Gen's Wine Produced by Andy Garcia】

追記:週刊文春今週(6月4日)号に健さんのファッションを4頁で特集しています。 取り上げられているファッションを見て”どれもこれもマックイーンじゃん!”と改めて思いました。 ペルソールを紹介している文面に他に愛用していた有名人の名前が出て来いますが、そこにはマックイーンの名前がないのです。 ”文春は分かってないよなー”と思っていましたら、その特集最終ページに何故ペルソールのところでマックイーンの名前を出さなかったのかその理由が分かりました。 良かったら読んでみてください!(15.5)

健さんのファッションについては亡くなった時に多くの声が寄せられましたが、「
着るものから役作りは始まっていた」ほんとうに改めて感じさせられる特集ですね。 911Sと着物姿の写真も掲載されているので、ファンの方は一見の価値ありです。

追記:青函トンネルの工事を描いた高倉健さん主演映画「海峡」を観ましたら、序盤では左腕に時計をしているのですが、中盤になってトンネル工事が始まりだすと右腕に写真と同じベゼルをGMTにカスタムされたオレンジハンド(Steve McQueen)をしだします。 トンネル作業なので暗闇でも時間がわかるオレンジハンドの選択は正しいと思いますし、東宝創立50周年記念作品である「海峡」での健さんの役はマックィーンでいえば「タワーリング・インフェルノ」のオハラハン消防隊長と「パピヨン」を合わせたような 苦難に耐え忍びながらリーダーシップを発揮しないといけない役柄なのですが、苦労の末にトンネルが貫通した時にその右腕のこぶしを突き上げるシーンはマックィーンの不屈の魂と貫通まで27年間諦めなかった健さん演じる阿久津剛がダブって見える感動のシーンだと思いました。(15.8)
【『海峡』 予告編 】


744. マックイーンが表紙の「Sharp Suits」という洋書もあります。
【Sharp Suits】


743. クリスチャン・ワードさんというパステルカラーの優しい色使いと独特のタッチのラインで描かれた格好いいマックィーンのアートがあります。 このクリスチャンさんの絵も部屋に飾りたい高いレベルの作品です。
【Christian Ward】
【Steve McQueen : Art by Christian Ward】


742. 1919年にスタートした映画雑誌「キネマ旬報」は創刊95周年記念『オールタイム・ベスト 映画遺産 外国映画男優・女優100』発売&ランキングを発表し、マックィーンは前回の7位から2位に選ばれました。 俳優としての選出でオスカーを受賞していないイーストウッドが1位であるのはいかがな選出でしょうか。またヒット作を重視するなら日本でも人気があるトム
・クルーズやハリソン・フォード、スタローンもランクインしていいとは思いますが・・
【『オールタイム・ベスト 映画遺産 外国映画男優・女優100』発売&ランキング発表!】


741. 「トム・ホーン」「燃えよドラゴン」などの名プロデューサーであるフレッド・ワイントローブが書いた本「Bruce Lee, Woodstock and Me: From the Man Behind a Half-Century of Music, Movies and Martial Arts」のチャプター8にトム・セレックとスティーブ・マックィーンについて書かれています。 全て英語ですが、2010年にNHKさんが制作されたマックィーンのドキュメンタリーにも出演されたフレッドさんですがそれがきっかけだったのでしょうか。 翌年の2011年に彼の回想録がぎっしり詰まった本が出版されました。表紙の1番上はマックィーンとの写真です。
【BRUCE LEE, WOODSTOCK AND ME】





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