739. 「ポール・ニューマン 銀幕とサーキットを駆け抜けた83年」というマット・ストーン氏、プレストン・レーナー氏、
そしてレーサーのマリオ・アンドレッティの3者によって書かれた本の161ページに『ニューマンとマックィーン ハリウッドの碧い目のレーサーたち』と題された記事が掲載されています。
以下 ポール・ニューマンは1956年の映画「虚構のアウトロー/Some body up There Likes Me」の演技でブレークした。
この映画はボクサー、ロッキー・グラシアーノの幼年期を伝記風にまとめたものだが、本来の主演はジュームス・ディーンに決まっていた。
どこか予言めいたものを感じるが、ジュームス・ディーンは1955年9月30日セントラル・カルフォルニアでスポーツカーレースに出場するためにクルマを走らせている途中で事故を起こして亡くなっている。
この事故によりロッキー・グラシアーノの役が彼に回ってきた。出演時間は8分ほどだった。
若いニューマンが彼の遊び仲間たちとプールに飛び込むシーンだが、その中にフィデルという名前の役を演じるニューマンと同じくエンドロールにも載らないような役者がいた。
フィデルは碧い目を持つワルを装うハンサムガイという役回りだった。(翻訳者の間違いだと思いますがマックィーンがクレジットなしの役者である)
このフィデルが若き日のスティーブ・マックィーンである。彼らは生き方、経歴、そしてモータースポーツを愛する気持ちで共通項が多く、1980年11月にマックィーンが亡くなるまで親交が続いた。
面白いことに彼らは同じレースに参加するということはなかった。2人ともSCCAでレーサーとしての経歴をスタートさせているが、
メジャーな耐久レースでもほとんど"シンデレラ的″と表現していい2位で同じくゴールしている。
マックィーンは1970年のセブリング12時間レース、ニューマンは1979年のル・マン24時間で、ともにポルシェをドライブしての2位ゴールだった。
ニューマンは実際にル・マンを走ったけれど、自身のレース映画「レーサー/Winning」ではその舞台をインディ500に求めている。
いっぽう、マックィーンはル・マン24時間を映画的視点で捉えているが実際のル・マンは走っていない。
ある一時期2人はそれぞれ異なるレーシングチームのオーナーだったが、マックィーンはニューマンのように自身がチームのクルマを運転することはなかった。
マックィーンの最初の新車は1958年式のポルシェ・スピードスターだが、ニューマンは同じクルマを1964年の映画「動く標的/Harper」で主役のクルマに選んでいる。
どっちがレーサーとして優れていたか? これに答えるのは不可能だ。実際彼らは同じ時期に同じレースにエントリーしていない。
けれど、ディック・バーバーはマックィーンの方が「より優れたレーサー」ではないかと言う。彼は2人にとって運転の師匠のような存在で、マックィーンにはレースを始めた初期に運転の手ほどきをしているし、ニューマンがル・マンに出場したときには面倒をみている。
「ポールは非常に理論的なドライバーだったよ。ポールはスティーブのようにモータースポーツを自然体で楽しむことはなかった。マックィーンは一時レースに熱を上げたといった感じだったね」とディックが言う。
ニューマンの本気度は1979年にバーバーと一緒にチームを立ち上げていることからも分かる。
ニューマンはル・マンから帰って以降プロフェッショナルなレースにランクアップし、1980年代の中頃からはアメリカ国内のいくつかのロードレースに照準を合わせ、その世界にのめり込んでいく。
だがそれはチーム運営というかたちでののめり方だった。
ニューマンはセブリングの2つのタイトルを物にしていたが、一方マックィーンはプロレベルのレースに出ることはなかった。
本物のレース好きはニューマンというべきだろう。ともあれ、もし2人が一緒に子供のころからレース活動を始めていたならどうだっただろうか? その答えはたくさんの映画好きにとっては不幸なことだというものになるだろう。
以上
2010年4月に発行された本ですが、マックィーンの永遠の良きライバルであったニューマンのレーシング・ライフが書かれたこの本はマックィーン・ファンにも是非買って読んでもらいたい一冊だと思います。
また日本ではDVD未発売のWOWOWで放送さてた「ポール・ニューマン 永遠のクールハン」というドキュメンタリーも必見だと思います。
ニューマンを知ることで、マックィーンという存在とライバル関係がより一層深く理解できるかと思いますよ。内容は本当に良かったです。
【Paul Newman】
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