FAQNews 46〜50



50. 日本に接点なさそうなのに来日したという事は〜・・・ 「ホンダ エルシノア」のコマーシャルで揉め事が出た?
A. 2度目の来日は78年4月の裁判の時でした。 裁判について・・マックイーンの人間性を知る上でとても 素晴らしいことが書かれていますので紹介します。

71年「栄光のル・マン」の公開に当たって、配給会社の東和は 松下電器およびヤクルトとタイアップして広告をしようと考えた。 (広告会社の電通もかかわって) そして、松下電器はワールドボーイというラジオを、映画の一場 面のマックイーンと組み合わせパンフレットや新聞広告に使用した。 ヤクルトはジョアのテレビコマーシャルの中で、「ル・マン」の中 のマックイーンのフィルムを流した。 こういう広告が流されていることはマックイーンの全く知らないこ とで、自分にことわりなしにこのようなことをしては困ると4社を 相手に裁判をおこした。
当時その金額(百万ドル=3億6千万円)の多さのほうが注目さ れた(実際そういう報道が多かった)が、マックイーンにとって百 万ドルなんてそれほど問題ではなかった。
裁判での答弁を要約すると
1.自分には無断でしようしたこと
2.たとえ百万ドルでも断ったこと
3.映画の宣伝ではなく製品のための広告であること
4.ヨーグルトは好きでないし、パナソニックも知らないこと
5.コマーシャルフィルムを作る場合、自分が100%確信をおいているものでなければならないこと
など、マックイーンは自分がその製品の品質とか性能について よく知り、しかも100%確信がおけるものでなければ広告宣伝 に出ないと言っている。

かつてホンダのオートバイのコマーシャルに出た特 別な理由があるのかどうかを聞かれ、
1.自分自身がホンダのオートバイを使っていてレースにも出ていること
2.本田氏自身をエンジニアとして尊敬していること
3.アメリカでいっしょに食事をしたこともあり、信頼もしていること
「だからこそ、ホンダのコマーシャルに契約したのだ。そういう信 念がなければやらなかっただろう。というのは、私は責任がある。 私を見に来る人、見に来てくれる人、観客の人に対して責任が ある。だから、私自身が製品を信じなければならない・・」 この時は25万ドルの契約だったが、これより以前に百万ドルで コマーシャルを申し込まれたが断ってる。 なぜ、25万ドルの契約は引き受けて、百万ドルのほうは断った のかの質問にこんなふうに答えている。 「オートバイの安全運動のためのコマーシャルで、全世界に私が ホンダを代表するというようなことだった。しかし、やらなかった。 その理由は、内容をみてみると、安全運動というよりも、むしろ オートバイを売る方に重点がおかれている感じだったからだ。 だから私は百万ドルでもやらなかった。 しかし、あとからのもの、つまり25万ドルのコマーシャルは、これ はホンダのバイクに乗り、安全を強調して、ある種の服を着て乗 るということ、そして安全のためにどういうことをしなければいけ ないのか、とくに舗装もしてないようなところを運転するときには、 どうしなけばいけないのか、そういこうとを宣伝するものだった。 だから、私は25万ドルでもやったのだ。」

マックイーンは自分のファンについて、こう考えている。 「私の育った環境は非常に貧しく不遇でした。そういうことも反映 して子どもから年よりまで、いわゆる貧しい、働く人たちが多いと おもいます。たとえば、トラックの運転手とかセメント工だとか、 パン屋さんだとか、つまりふつうの庶民、そういう人たちが多いと おもうのです。 私はこういう私のファンの人たちをだますというようなことはしま せん。私が映画を作る場合には、最善をつくして、みんなを失望 させないように努力しています。だからこそ、いまも私のファンだ といってくれる人たちが多いのだとおもいます。 非常に正直に、自分のやること、演技上からも、みんなをだまさ ないようにしています。 だから、私にとって一番大切で必要なものは、私自身のイメージ、 私自身のなまえ、スティーブ・マックイーン、それがすべてなのです。」

裁判の判決は
(マックイーンが亡くなった3日後の80年11月10日)
1.あの程度のものは、商品を直接保証していない
2.日本の慣習上、とくに許可をえなくてもかまわない
3.むしろあの広告で映画はよりヒットし、お前ももうかったではないか
というものでした。
そして・・
この判決のときに、マックイーンが生きていなくてよかったとおもう。 日本の慣習はどうか知らないが、すくなくても彼の訴えたかったこ とはほとんどうけとめられることなく、全然くいちがった返事がかえ ってきたのだから。 それにしても、いまの日本のコマーシャルはひどすぎはしないか。 芸能人・スポーツ選手・文化人・・だれかれの区別なく商品や企業 の宣伝に登場している。 もちろん、ほとんどの人たちが、マックイーンのように、信念を持っ て自分のイメージをかけて宣伝に参加しているのだと信じたい。 私たち庶民は「あの人が宣伝している商品なら大丈夫」「あの先生 が保証してくれるのだから」と、ついおもってしまうのである。 メーカーの言うことよりも、有名人のイメージのほうを信頼してしま うのである。 それだけに責任が重いのである。 「私には責任がある。・・・」こう叫んだマックイーンの言葉を、もう 一度きいてほしい。そして心の奥にしっかりと受けとめてほしい。
・・このように結んでいます。
〜「暮らしの手帳」 1981 january-february 「マックイーンが言い残していったこと」〜より要約

追記:原文を[Comment]に掲載しました。


49. ホームページのサイン入りの写真、グローブ持って両手を上げてるやつ。 あれは一体何なんですかっ!?教えて下さい。
A. あのサイン入り写真はアメリカのオークションで見つけました。 UACCメンバーの生涯保証書(こういうのもあまりあてにならないようですが)が付いていましたし、 何より直感で本物と信じたので手に入れました。


48. マックイーンが残した手形も触ってみたいし・・詳しく教えて下さい。
A. マックイーンの手形・足形はハリウッドのチャイニ ーズ・シアターの前にあり

3/21/67(1967年3月21日)
Steve
McQueen
THANKS !!

と刻まれています。
かつて若かりし頃?手と足を合わせて来ました。あの感激は今でも忘れることができません! またきっと行きたいと思っています。


47. マックイーンの関連本(洋書)の出版社、著者名を教えてください。
A. 「Book&Magazine」の上から
5.steve McQUEEN '78
(Francois GUERIF (著) PAC editions Paris)
7.McQUEEN '81
(Tim Satchell (著) Sidgwick & Jackson London)
11.A FRENCH KISS WITH DEATH '99
(Michael Keyser (著), Jonathan Williams (著) Bentley)
12.Steve McQueen '00
(William Claxton (著) ArenaEditions)
13.POCKET ESSENTIALS FILM '00
(Richard Luck (著) Oldcastle)
14.PORTRAIT AN AMERICAN REBEL '01
(MarshallTerrill (著) Plexus Publishing)

5と7は出版から20年以上経ちますので手に入れるのは難しいと思いますが、 11〜14は現在でも新書で入手できます。


46. 「荒野の七人」のサントラの完全盤があるのを御存知でしょうか?日本で発売されている従来のタイプは、正確には「続・荒野の七人」のサントラになります。完全盤は全23曲収録で、映画の中の曲が全て入っています。 ただ、国内では販売されていないようです(私は、ロスに行った際、タワーレコードで偶然見つけました)。輸入CDを扱っている店では入手できるかも知れません。品番は、RCD10741です。
A. ジャケット違いの「Return of the Seven」(続・荒野の七人)は持っていますが、完全版のことは知りませんでした。ありがとうございます。
「荒野の七人」のサントラは「続・荒野の七人」(収録曲が同じ)でテープが再使用された時に発売されたようですので、そういう意味では「正確には」という言葉が当てはまるかもしれません。 ただ「続・荒野の七人」では「荒野の七人」のメイン・テーマをはじめ収録曲が作品の中で全ては流れなかったと記憶しています。
「荒野の七人」では収録曲が全て使われていたので、私個人としてはやはり「荒野の七人」のサントラという思いがあります。

追記:さっそく入手して聴いています。さすが完全盤・・とても素晴らしいですね! ありがとうございました。





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