FAQNews 1081〜1085



1085. 「栄光のル・マン」マイケル・デラニーのレジン・スタチュー(350ユーロ≒\45,000)が発売されます。 チャド協力のもと、表情や全身の雰囲気、レーシング・スーツ、ヘルメット、モナコなど詳細に作られているようです。
【infinite statue | STEVE MCQUEEN】
【STEVE MCQUEEN OLD AND RARE STATUE RESIN FIGURE 32 CM】

追記:マックィーンのスタチュウが発売されています。このページを見るとカートに品物を入れることができますし、お一人様2点まで当日発送とありますので購入可能かと思われます。(20.7)
【SIDESHOW:Steve McQueen Statueby Infinite Statue】

追記:こちらでもまだ購入できるみたいです。(20.7)
【infinite statue:STEVE MCQUEEN】


1084. 「大脱走」の未公開映像が、スタントマンのティム・ギブス氏によって公開されたと紹介されています。 映像は数秒ですが、ジャンプ・シーンの撮影をギプス氏がさらに後ろから撮影したものでカメラマン&クルーが映っています。
オーストラリアのスタントマン、ギブス氏については「The Great Escape Location Site」(FAQ&News565)で詳細に、さらに画質は良くありませんがギプス氏が撮った写真も多数掲載されています。 作品中マックイーンがワイヤーを張ってドイツ兵からバイクを奪うシーンはバド・イーキンスでうまくいかず、ギブス氏が行ったこと(サイト内「Pfronten」)も記載されています。 上記映像の写真は「The jump and the fence」
【Lost Steve McQueen footage from The Great Escape revealed on 75th...】
【The Great Escape Location Site】

追記:マックィーンがワイヤーを張ってバイクを奪うシーンの動画もこちらにはあります。
【Secrets of The Great Escape stunt are revealed after 50 years】

こちらの方が良いですね。
【Fascinating look into filming of Steve McQueen's The Great Escape】


1083. 「荒野の七人」でベルナルド(ブロンソン)を慕う村人の子役(マリオ・ナヴァロ?/存命なら今年70歳)の息子さんが掲載した写真を見つけました。 出演者ではありませんが、昨年末ロゼンダ・モンテロスが亡くなり、もう作品関連の方はいなくなったと思っていたので感慨深い1枚です。
【My dad on the set of The Magnificent Seven with McQueen and Bronson】


1082. モノ・マガジン4月2日特集号(3月15日発売)の表紙はマックイーンです。お見逃しなく。この後はトイズマッコイですね。
【モノ・マガジン2019年4月2日特集号】


1081. 希少なジャガーXKSSの中でも最も有名な一台。スティーヴ・マックイーンが愛し、走り込んだ車がロサンゼルスの自宅に里帰りしたところを写真に収めた。 スティーヴ・マックイーンは車とモーターサイクルを愛したが、とりわけ速く走ることに目がなかった。中でも最愛の一台といえるのがジャガーXKSSだ。その愛情は同じ車を二度も買うほどだった。 マックイーンの名声は1950年代初めに高まりをみせた。やがて富を手にするようになると、長く苦楽を共にしてきたMGTCから、もっと速くて新しいスポーツカーに乗り換えようと考えた。 まずはオースティン・ヒーレー、次にはコルベットでロサンゼルスの街を走り回るようになった。だがスローダウンしてほしいと妻のニール・アダムスに懇願され、いったんはフォード・フェアレーンに落ち着いた。 しかしこれが続くはずもなく、1957年にはシアタ208を購入すると、すぐにポルシェ356スピードスターとロータス・イレブンが続いた。 極めつけが1958年に手に入れたXKSSだ。この車を1957年4月に新車で購入したのはカリフォルニア州アルタデナのジェームズ・E・ピーターソンだった。 同年8月にはサン・フェルナンドのドラッグコースをXKSSで走り、その日の最速タイムを出したといわれている。ピーターソンはリバーサイド・レースウェイ設立にも関わっていた。 1957年9月にオープンし名勝負の舞台となったほか、ハリウッドが制作するテレビや映画の撮影で頻繁に使われたサーキットだ。 購入から1年後にXKSSはラジオやテレビの司会者だったビル・ライデンの手に渡った。人気番組“It Could Be You”の司会を務めて2年目に入っていたライデンはよくXKSSでサンセット・ブルバードのスタジオに通っていた。 マックイーンはその駐車場でXKSSを初めて見かけると、さっそく譲ってほしいと頼み始める。ライデンが折れるまでに時間はかからなかった。 次にはその交渉術で妻のニールを説得、彼女がライデンに5000ドルの小切手を手渡し、マックイーンは1958年末に念願の“XKSS713”を手に入れた。 XKSSは純コンペティションカーのDタイプを公道用にコンバートしたモデルだが、Dタイプ時代のシャシーナンバーは“XKD569”だった。XKSSの新車当時はクリームのボディに赤のインテリアだった。 ダークカラーを好んだマックイーンはホットロッダーとして名高い“ローナー”(一匹狼)ことトニー・ナンシーにXKSSを送り、ボディはブリティッシュ・グリーンに、インテリアは黒のレザーに仕立て直した。 完成したXKSSを“グリーン・ラット”(緑のネズミ)と名付けると、マックイーンはロサンゼルスの街を駆け巡り始めた。警察に目を付けられていたのは有名な話だが、どうやら逃げ切ることが多かったらしい。 ロサンゼルス市警はマックイーンを捕まえた警官への報奨として、ビバリーヒルズの名店“ロウリーズ”でのステーキディナーを約束していた。マックイーンはXKSSを入手した1年目だけで二度も免許を失いかけたようだ。 有名なエピソードをもうひとつ紹介しよう。ニールを乗せてXKSSで走っていた際にパトロール中の警官に止められたマックイーンは、妻の陣痛が始まったと嘘をついて、警官と一緒に病院まで飛ばしていったのだ。 確かにニールは妊娠していたがまだ6カ月だった。警官が立ち去ると、看護婦に「気のせいだった」と言ってまんまと帰宅した。しかし、ニールはカンカンで、その日1日口をきかなかったという。 「マックイーン XKSS」で画像検索をすると、名優とその愛車を収めた写真がいくつも出てくる。カウボーイの衣装に身を包み、銃身を短く切りつめたライフルを腰から下げている写真は、テレビドラマ「拳銃無宿」のセットで撮られたものだ。XKSSに馬をつないだ写真まである。 また、映画「マンハッタン物語」の撮影中には毎朝ソーラードライブの自宅からハリウッドヒルズの曲がりくねった山道をXKSSで駆け抜けて、共演のナタリー・ウッドを迎えにいった。 そしてサンセット・ブルバードのオールド・ワールド・レストランで一緒に朝食をとってから撮影に臨んだのである。 XKSSを愛用していたマックイーンだが、1967年に車を売却することにした。このままでは本当に免許を失いかねないと考えたのか、あるいは、新発売のフェラーリ275 GTB/4をオーダーしたことにも何か関係があったのかもしれない。 しかし完全に手放すつもりではなかった。少なくともマックイーンにその意志はなかったようだ。あくまでも「便宜上の売却」だったとのちに弁護士が述べている。売却先は有名なリノのハラー・コレクションで、マックイーンによれば、口頭ではあったが他の誰にも運転させたり売ったりしない約束だったという。 だが10年後に買い戻したいと申し入れたというマックイーンの頼みをハラーは拒んだ。法的介入を経てようやく買い戻すことはできたが、売却金額より大幅に高くついた。これが1978年2月のことだ。それから3年足らずでマックイーンは50歳でこの世を去る。ガンで手術を受けた直後の心臓発作が原因だった。 マックイーンが愛してやまなかったXKSSはかつて彼と近所付き合いをしていたリチャード・フレッシュマンが1984年に購入し、イギリスのジャガー・スペシャリストであるリンクスでレストア。 その後、2000年にロサンゼルスのピーターセン自動車博物館が買い取って現在に至っている。博物館ではXKSSを定期的に走らせ、時折、写真のようにブレントウッドにあるマックイーンの邸宅“キャッスル”に里帰りさせることもある。 愛車XKSSでサンセット・ブルバードを飛ばすマックイーン。彼がこの車を所有していた1960年代には、こうした光景がよく見られた。
【マックイーンが愛したジャガー|免許を失いかねないほどLAを駆け抜けた相棒の帰還】





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